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2015年6月 9日 (火)

◆暫し日本を離れて ②◆ ライン川クルーズ 

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古城の塔と聖マルチン教会   













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専用バスにはツアー客13名とツアーコンダクター2名の、計15名。ツアコンの男性は今年入社したばかりの体育会系のKさん、女性の方はスーパーコンと呼ばれる貫禄十分のMさんだ。MさんはKさんの指導教官という立場だが、二人の共通するところは体が大きいということ。海外が仕事場になるとき、これは重要なことかも知れない。


バスはフランクフルトを離れ、マインツ(岡崎が活躍しているチームの本拠地)の近くへ向かう。フランクフルト市内を流れるマイン川がライン川に合流する位置にマインツの町がある。1時間ほど走ったバスはライン川沿いを進む。



9:10
  クルーズの起点となるリューデスハイムに到着。少し歩いて船乗り場へ。いくつもクルーズ船が止まっていた。

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クルーズ船はゆっくりと旋回してライン川を下っていく。





ライン川クルーズの大まかな地図

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~中世、ライン川は南北ヨーロッパを結ぶ交易路として発展してきた。当時、川の流域を支配していた諸侯は、通行する船から税を徴収するために、川の周りにたくさんの城を築いた。リューデスハイムから、クルーズの終点サンクトゴアハウゼンまでの約30km間にとくに多くの古城が残されている。~





ニーダーヴァルト記念碑(船からは分からないが、高さは38mあるそうだ。)

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~リューデスハイムの丘の上にあるニーダーヴァルト記念碑は1871年のドイツ帝国統一を記念し、1883年に建立された。全ドイツ人の統一の象徴となっている記念碑。

斜面の耕地のほとんどがぶどう畑。右写真の看板はこの地方のワインの品種名。~







多くのクルーズ船や物資を運ぶ船(右写真は石炭運搬船)が行き交う。

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右手にエーレンフェルス城跡が見えてくる。

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~1211年に関所として建てられた城。その後、堅固な城として拡大、戦いのたびに利用された。1689年、フランス軍に爆破され、それ以来、今日まで廃墟として残っている。~










左手の岸壁上にはラインシュタイン城。

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~税関として建造されたが、裁判所としても使われていた。1572年以降、使われなくなっていたものを復元して、現在は博物館になっている。~







ホテルだろうか、レストランだろうか?伝統的な建物や古い街並みが残っている。

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町の中に美しい教会が数多く見られる。

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左手にライヒェンシュタイン城が見えてくる。

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~ライヒェンシュタイン城は11世紀に建てられたが、船を襲う盗賊達の根城になっていたこともある。現在はホテルになっているが、一部改修中。~









左手にゾォーネック城

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~11世紀にコルネリミュンスター修道院により建造されたが、ここも盗賊騎士の根城となり、焼き払われた。1689年にフランス軍により破壊され、1843年に復元された。~








左手に次々と古城が現れる。フェルステンベルグ城

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~ケルンの大司教エンゲルベルトが1219年に建てた城。1689年、フランス軍に破壊され、塔のみが残った。現在はワインの貯蔵庫になっている。~







シュタールエック城

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~1142年にプファルツ侯爵の居城となったが、1689年にフランス軍が攻め入り、爆破された後は廃墟すら残らなかった。その後、礎石の上に城が再建され、現在はユースホステルになっている。~





シュタールエック城とバハラッハの町並み

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さらに、今度は右手に、プファルツ城とグーテンフェルス城(後方上)

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~中州に建つプファルツ城は、1326年に建てられ、船の通行税を徴収していた。ただ、川の中にあるために劣化が激しく、1606年に船先のように尖らせ、水流の抵抗を少なくするように改築された。19世紀後半からはライン航行船の信号塔として利用されてきたが、現在は博物館になっている。

グーテンフェルス(善の岩)という名前を持つこの城は、13世紀に建てられ、ベルクフリート(中心の大きな塔)は当時のまま保存されている。現在はホテルとして利用されている。~






左手に、シェーンブルク城と聖母教会

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山上にあるシェーンブルク城と山麓の聖母(マリア)教会

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~シェーンブルク城は、1166年、バルバロッサ皇帝が忠実な臣下に授けたもので、その美しい姿に因んで、シェーンブルク(美しい城)と命名された。17世紀にはフランス軍に破壊され廃墟となるが、19世紀に復旧され、現在は古城ホテルとなっている。

1308年建設された聖マリア教会。赤い教会という愛称で呼ばれている。~







ライン川クルーズも終わりに近づく頃、右手に急峻な岩山が見えてくる。ここがローレライの岩といわれる名所。船内には♪ローレライの曲が流れ、ドイツ語、英語、日本語の案内がある。(日本語の案内は順番が最後になるので、通り過ぎてから流れることもある。)

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~ローレライの辺りでは川巾が急に狭くなっている。伝説によると、船乗りはここへ来ると岩の上に立つ水の精の美しい姿と歌声に魅せられて、つい気をとられた途端、岩壁に突き当たり急流の中に飲み込まれてしまったという。頂上には、展望台と水の精の像がある。~







ローレライの岩山を過ぎれば、終点のサンクトゴアハウゼンは目の前に近づいてくる。その両岸に建つ二つの城。

左手にラインフェルス城              右手にはネコ城

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~ラインフェルス城は13世紀に建てられた城で、ライン関税の争いで都市連合軍が押し寄せ、一年あまりも攻撃されたが、陥落することはなかったという。

ネコ城の”ネコ”という名前は建造主であるカッツェネルンボーゲン伯ヴィルヘルム2世の名前、カッツェ(ネコ)に由来する。正式な名称はノイカッツェネルンボーゲン城、通称はブルク・カッツ(ネコ城)。19世紀にライン川の他の城同様に、フランス軍に破壊されたが、20世紀初頭に修復されている。25年ほど前に、日本人がこの城を買い取ったことでも知られている。~




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1時間半ほどのライン川クルーズが終わり、サンクトゴアハウゼンから、再びバスに乗ってクルーズ始点のリューデスハイムに戻る。

この旅行の最初の観光となったライン川クルーズ、まるで中世のヨーロッパへタイムスリップしたような気分だった。古城と大きな教会が残る町並みは、船から見ているだけでも本当に美しかった。雲は多かったが、幸い雨は降らず、船首へ出てライン川の爽やかな風を受けながら、クルーズを楽しむことができた。

相方は痛めた足を気遣って、船内の客席に座っていたが、少しずつ回復してきているようで一安心というところ。次回は昼食後に散策したリューデスハイムの記録を~~。


◆暫し日本を離れて ③◆   へ続く。









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